当流、夢分流の特徴、他流との違いについて述べましょう。
けして、他流の鍼を非難したりけなしたりするわけではありません。
私も、最初は、9つの他流派の鍼を習っていました。
「草臥」は疲労を指します
他流では、症状を聞いて治療を行いますが、疲れてしまう病人が多いです。
夢分流では、問診でなく腹診で病証を判断します。腹診について診ではなく「観」と述べているのは興味深いです。観には、物事を視覚によりじっくり見て観察する、本質をとらえる、考えるという意味があります。本節を最後にも「観」について述べている所から、腹部の望診を重要視していた可能性もうかがえます。
「漸漸」には、物事が徐々に進んでい行くという意味があるので、腹部打鍼は頻繁に鍼をして、徐々に病を癒してゆくというものなのかもしれません。
当流で大事とするところは、病人に病の状態を問いて病証を判断するまでもなく、腹部を観て、いずれにせよ病証を問診より細かく判断するばかりでなく、百日鍼してもだんだんに効果はありますが、他流派のように患者が疲労するという事はありません。
「品玉」は、手品の事です。
「居処」は、邪気の居所を指しているのだと思われます。
この事は当流にとって名誉なことです。世俗の諺に、手品に種がなければ成り立たないというように、邪気がどの臓腑にあるかによって病証はかわります。その違いによって病証を知り、また生死の善悪、つまり予後が明らかとなります。
「一一」は、一つ一つ、それぞれの意味です。「格」は、方法を指すと思われる。
原文は、縦書きであるため「左に顕す」は、左記に述べるの意味となります。
当流の一つ一つの優れたところを現すための方法を、左記で述べましょう。心の目で観ることに集中してください。